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日本画主要作品一覧

あ行

作家名 生没年 題名
青山 亘幹 1945- 松の内 お支度
荒井 寛方 1878-1945 天地和平
池上 秀畝 1874-1944 秋晴
池田 遙邨 1895-1988 桜並木
石踊 達哉 1945- 白梅
伊東 深水 1898-1972 春夏秋冬
岩橋 英遠 1903-1999 翔鶴
上村 松園 1875-1949
歌川 広重 1797-1858
大山 忠作 1922-2009 遊鯉
奥田 元宋 1912-2003 渓谷秋粧
小茂田青樹 1891-1933 村道
小山 硬 1934- 駿河富士

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p_01_kaze 《風》, 163×65cm, 1939年

収蔵作品

1.風/A wind
2.清少納言/Sei-Shonagon

略歴・作品解説

明治8年(1875)京都生まれ。京都府画学校に学ぶ。鈴木松年、幸野楳嶺、竹内栖鳳に師事。23年(1890)第3回内国勧業博覧会で《四季美人図》が英国貴族に買上。24年(1891)第1回日本青年絵画共進会展で《美人観月》が3等賞受賞。大正4年(1915)第9回文展で《花がたみ》が2等賞受賞。文展を中心に出品。昭和16年(1941)帝国芸術院会員、19年(1944)帝室技芸員。23年(1948)女性としてはじめて文化勲章受賞。女性画家の第一人者。
《風》は、強い風に袂をひるがえし、裾を乱す佳人を描いたもの。松園としてはめずらしく、動きをはらんだ動的な作品だが、浮世絵にはよく見られる作図。松園の手によって、明朗で品位ある美人画となっている。昭和に入って画技は高い境地に円熟したが、本図も後期の澄んだ作調を示す一例である。
《清少納言》は松園20歳のときの作品である。清少納言という歴史上の人物、秀れた女性文学者を女性画家の目で見て描いた肖像画で、優美な王朝の雰囲気が全面にあふれでている。

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か行

作家名 生没年 題名
片岡 球子 1905-2008 写楽
堅山 南風 1887-1980 西瓜と桃
鏑木 清方 1878-1972 雛市
川合 玉堂 1873-1957 稲田の鶴
川端 龍子 1885-1966 錦木
工藤 甲人 1915-2011 鶴の巣ごもり
児玉 希望 1898-1971 戸隠の秋
後藤 純男 1930- 雪后塔映
小林 古径 1883-1957 朝顔
小山 敬三 1897-1987 浅間山盛夏
今野 忠一 1915-2006 浅間

さ行

作家名 生没年 題名
澁澤 卿 1949- 色葉風韻
下田 義寛 1940- 耀
下村 観山 1873-1930 寒山拾得
杉山 寧 1909-1993 山吹小禽

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matsu 《松(六曲半双)》,170×372cm(双軸),1917年

収蔵作品

1.鹿・寿老・鶴(三幅対)/(A Trilogy)Center: The God of Longevity, Right: Cranes, Left: A Deer
2..寒山拾得/Han-shan and Shih-te(Chinese Priests)
3.松(6曲半双)/Pine-tree

略歴・作品解説

明治6年(1873)和歌山生まれ。狩野芳崖、橋本雅邦に学び、東京美術学校を第1回に卒業し、助教授となった。29年(1896)日本絵画協会第1回絵画共進会で《仏誕》が銀牌第2席受賞。30年(1897)同第3回展で《嗣信最期》で、特別銀牌受賞。31年(1898)校長岡倉天心に殉じて美術学校を去り、日本美術院の創立に参加したが、34年再び母校の教授となった。外遊後、文展開始とともに審査員となり、横山大観と美術院再興の中心として活躍した後、大正6年(1917)帝室技芸員となった。

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た行

作家名 生没年 題名
竹内 栖鳳 1864-1942 富嶽

な行

作家名 生没年 題名
中島 千波 1945- 牡丹花

は行

作家名 生没年 題名
橋本 雅邦 1835-1908 春夏秋
橋本 関雪 1883-1945 梅倶々利天神
橋本 明治 1904-1991 舞扇
林 功 1946-2001 行雲 応県木塔
速水 御舟 1894-1935 ポンテ・ベッキョ
菱田 春草 1874-1911 五月雨
平松 礼二 1941- 路・富岳
平山 郁夫 1930-2009 安宅の松
福王寺 法林 1920-2012 ヒマラヤの朝
福田 平八郎 1892-1974 清秋
堀 泰明 1941- 河風

ま行

作家名 生没年 題名
前田 青邨 1885-1977 住吉詣
円山 応挙 1733-1795 寿老・鴛鴦・鴨
村松 乙彦 1912-1983 静物

や行

作家名 生没年 題名
安田 靫彦 1884-1978 供花
山口 華楊 1899-1984
山口 逢春 1893-1971 秋爽
横山 大観 1868-1958 三保の富士
横山 操 1920-1973 暁富士

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take 《竹(六曲半双)》,170×372cm(双軸),1917年

収蔵作品

1.竹/Bamboo
2.三保の富士/Mt.Fuji of Miho
3.海暾/Seacape
4.五月雨/Early Summer Rain

略歴・作品解説

明治元年(1868)水戸市の生まれ。22年(1889)東京美術学校の開校と同時に入学、26年(1893)卒業。京都美術工芸学校教諭を経て東京美術学校の助教授となる。29年(1896)、日本絵画協会第1回絵画共進会で《寂静》で褒状。30年(1897)同第2回展で《無我》が銅牌受賞。31年(1898)日本美術院第1回展で《屈原》が銀牌受賞。美術学校入学以来、下村観山と菱田春草と共に、岡倉天心校長に導かれて画技を磨き、開眼した画家である。そのことから31年、岡倉校長が美術学校長を辞したとき、大観ら三人も天心に殉じてともに美校を去り、天心が創設した日本美術院に参じてその正員となり、日本絵画協会展(日本美術院展)へ出品した。そして天心の唱える新しい日本画樹立を目ざして伝統の模倣・伝習を捨て、洋画風の技巧に近い、空間や光線の表現を強めた没線彩画で歴史画を描いたため、朦朧体と罵られ、天心とともに茨城県五浦海岸へ移住して画技を研磨した。40年(1907)開催された文展で、大観は審査員に推されたが、伝統固守の旧派画壇と対抗して闘ったため多くの敵をつくり、展覧会ごとに傑作を余に問うたにもかかわらず、大正3年(1914)には敵視する人々のために文展審査員から彼一人除外されてしまった。
以来、天心の遺志をついで再興した日本美術院を率いて活躍し、画壇の最高峰に登って近代日本画の樹立という大事業を成就したのである。昭和12年(1937)文化勲章を授与され、33年(1958)90歳で没するまで、彩管をふるいつづけた元気もまた比類ないもので、近代画壇の傑物たるに値する。

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